人生の岐路
LIMO 通信 vol.43より

梅雨入りしたある日、
近いうちに、生まれ故郷の里山で暮らすことを考えているという
知り合いの女性から電話をもらった。
彼女は看護師の資格を持ち、現に今日も都会の大学病院に勤務している。
過疎地での医師、看護師、検査技師など医療関係者の人手不足・人材不足は、
どこも深刻を極めているものだから、
私は、電話の向こう側にいる彼女の話など碌に聞かずに、
直ぐにでも中越の地に住むことを勧めた。
「山の集落で良ければ住む家はこちらで用意できる。
自家用車も明日にでも積雪寒冷地仕様を手配してあげられるし、
車庫証明なしでも車は所有できる。
米も野菜も、隣近所のおばあちゃん、おじいちゃんがお裾分けしてくれるから、食費なんて殆ど掛からない」
私の矢継ぎ早の説明は、彼女の次の一言で途切れた。
「いろいろと心配してくれて、ありがとうございます。
でも、私がお聞きしたいのは、働ける場所でも、住む家のことでもありません。
引き籠りのうえに、家庭内暴力を揮う息子が片親の私と一緒に生きていける場所がそこにあるかどうかなんです」。
少し間があって、彼女は堰を切ったように続けた。
「夫は息子がこうなってからというもの、家に寄り付かなくなってしまいました。
でも、私はそんな夫を責めることはできません。
私が夜勤の日、急患の日は家の事はすべて夫に託さなければなりませんし、
息子の事も我慢してもらわないといけないのですから」。
彼女の話の内容から夫の両親はすでに他界し、彼女の母親も5年前に帰らぬ人となっていたことも知った。
「5年前、息子は中学校1年生で、毎日、近所の小学生たちを迎えに行って、
一緒に学校に通うような優しい子でした。
病弱なおばあちゃんの面倒も、私たち以上によく見てくれていました。
それが、あの日を境に急変してしまって」。
少し話すことをためらいながら
「酔って帰った夫が自分のタバコの不始末で家を焼き、
息子のことも、おばあちゃんのことも見捨てて、
一人で逃げ出してしまったことをとても許せなかったのです。私はその日、夜勤で……」。
そこまで言うと、後は言葉を飲み込んだ。
私は話を聞きながら、彼女が決して何かをこの地に期待しているわけではないことを感じていた。
だが、彼女はあきらかに、これから、けっして短くはないだろう一人息子との時間を、
今は亡き母親の故郷でなら過ごせるという想いを抱いていることを感じていた。