山を下りる理由
LIMO 通信 vol.38より

これまで、石川県輪島市上空に氷点下36度以下の寒気が流れ込むと、
新潟県は間違いなく「大雪」になると教えられてきた。
今年の冬も、2月4日から13日にかけて
日本の上空には相次いで氷点下33度、39度という寒気が入り込み、
間違いなく「大雪」と呼ばれる降雪量を記録した。
しかし、近年「大雪」と呼ぶことはあっても、気象庁が「豪雪」と命名した年は、
昭和38年の「三八(さんぱち)豪雪」と平成18年の「一八(いちはち)豪雪」の2回しかない。
ちなみに、中越大震災が発生した平成16(2004)年は、
その年の12月から年明けの翌17(2005)年1月にかけて記録的な降雪となり
仮設住宅の屋根雪掘り(豪雪地帯は「屋根雪おろし」とは言わない)が間に合わず、
自衛隊の出動を要請する状況となったし、
平成17年12月から翌18(2006)年2月にかけて降り続いた雪は、
気象庁が「豪雪」と命名しているが、死者152名、重軽傷者約2,100名、
住宅の全半壊46棟、一部損壊に至っては約4,700棟を記録している。
ここでは、今年の「大雪」をして、気象庁が「豪雪」と命名するか否かの話をしたいわけではない。
3月の声を聞き、「大雪」を無事乗り切ろうとしている80歳を過ぎた老婆のことを書き留めておきたいと思う。
老婆は3mを超す雪のなか、東京で暮らす孫娘から
「おばあちゃん、大雪なんでしょう。もう意地を張らないで山を下りて、東京で暮らしたらいいのに」
と電話をもらう。老婆は私たちの目の前で、電話の向こうにいる孫娘に、
「心配せんでもいい。屋根雪は集落のみんなに掘ってもらった。もう1ヶ月もすれば、雪も融けてなくなる」
と気丈に言う。続けて
「今年も、たらの芽、フキノトウ、ウド、セリ、ゼンマイ、みんな送ってやるから」
と、こちらを見ながら笑って言う。
老婆は、この地域では山の幸を知り尽くし、
つくる料理も銀座で店を張る割烹の板前さんのレベルを誇る。
孫娘に送る箱詰め料理は、ただの山菜ではなく、一級品の山菜料理と評判が高い。
何回も何回も、老婆に山菜料理のレシピを聞きに行くのだが、いまだに教えてもらえないでいる。
ところが、先日、突然に老婆から電話をもらった。老婆との付き合いは、
中越大震災の仮設住宅から山に戻るとき以来だから、10年の歳月がたっていた。
「この春には山を下りようと思う。近場で、どこかいいとこ見つけてもらえるもんかね」
と言う。「近場でいいんですか。東京のお孫さんに叱られそうだけれど」と水を向けると、
「この年で東京暮らしなんか無理だ。一番よく知っているのはあんただろうに」と真顔で返す。
「今年の雪はやはりしんどい。爺さんが生きていてくれればなーーー」
その後の声は聞き取れなかった。
今年こそは、まち場で暮らす老婆を誘って、一緒に山に入ろうと決めていた。