峠に住む老夫婦
LIMO通信 vol.37より

日曜日にも関わらず早朝に目が覚め布団を出た。
まだ薄暗い廊下を歩きながら窓の外を見ると、
雪国の里山に住んでいるとはいえ、
この季節には珍しく一面の雪景色となっていた。
雪国では、毎年11月1日から本格的に冬支度が始まる。
冬期間の道路除雪管理体制が整えられ、道路交通安全を祈願する。
とはいえ、まだ11月中旬のこの季節に、里山にこれだけの雪が積もるのは滅多にはない。
同じ日、中越大震災でも甚大な被害を受け、
震災から13年の歳月を経た今も、
大雨の度に地すべりが起こるかも知れないと夜通し心配しなければならない集落に住む老夫婦を訪ねた。
先の電話では、
「少ないが、今年の新米を若い奴に届けるように言ってあるから、食べてくれ」と連絡をもらっていた。
いつもの年であれば、電話で御礼を言って
「すみませんが、宅配便はこの日に指定してくださいませんか」とお願いをするのだが、
今年は何故か、
「たまには取りに伺います。再来週の日曜日でどうですか」と電話越しに聞いていた。
すると、「俺たちが、山を下りるのを知っているのか」と怒ったような主人の声が聞こえた。
さらに、主人の脇にいるのか、奥さんが
「私じゃありませんよ。私はお話ししていませんから」と、こちらも怒ったような声が聞こえた。
この老夫婦は、たしか小学校の同級生だから、
今年は「傘寿」を迎えるはずだった。
そんな記憶を辿りながら、峠の老夫婦の住む家に向かっていた。
曲がりくねった峠道の積雪は優に40センチメートルを超えていた。
道路の両脇に積まれている雪が、運転者に除雪車が入ったことを教えていた。
冬タイヤに履き替えているとはいえ、その年の最初の雪道走行は、運転者に極度の緊張を強いる。
ようやくたどり着いた老夫婦の家の玄関では、奥さんが出迎えてくれた。
こちらを見るなり
「お爺さんの機嫌が悪くて、悪くて、大変なんですよ」と言う。
だが、その表情には安堵感が見て取れた。
思わず「ご苦労さまでした。お二人で山を下りて、少し楽をなさって下さい」と声を掛けると、
「お爺さんと私の体力では、もう田んぼの面倒も、雪掘りも満足にできません。村の皆さんに迷惑をかけるばかりで」と寂しそうに言う。
かつて、道路除雪車を操らせたら右に出る者はいないと言わしめた老人は、
峠の家を解体して、まちに下りる決心を私に話してくれた。
峠にある老夫婦の家からは、今も曲がりくねった峠道の全貌が見えるのだが、
今、そこを走っている車は見えない。
新しく整備された道路は、かつて難所といわれた峠をトンネル1本で越えている。
老人は、別れ際に
「この山は、中越大震災以来、危ない山と言われるけれど「宝の山」なんだ。山菜も、薬草も、たくさんある。水もいいし、日当たりもいい」と寂しそうに言う。
山で暮らし続け、山を知り尽くした「人」が、
また一人、山を下りる。