暑い夏の一日
LIMO 通信 vol.40より

上越新幹線を降りると途端に熱風が体にまとわりついてきた。
その日の東京の気温は、14時前後で確か37度と予測されていたのだが、
体感温度は、それをはるかに超えていた。
加えて、3連休の最後の日だったせいか、新幹線のホームでは多くの人々が行き交っていた。
乗り換えの山の手線ホームまで、わずかな距離なのだが、とにかく息苦しい。
7月中旬、山古志住民の有志一同と高知県の土佐山を訪ねる途中の東京駅の一コマなのだが、
私には、ひっきりなしに行き交う人々のどの顔も、
「早くこの場を離れたい」と足早に歩くという異様な光景にしか映らなかった。
高知入りしたその夜、土佐山アカデミーで新規事業の企画・立案を担当している若者と話ができた。
彼は「高専時代ロボットコンテストに夢中だったのですが、
卒業後は、デザイナーとして就職し、その後に外資系の広告代理店へ移籍しました」と話してくれた。
「でも今、なぜ高知県で、土佐山なのですか」と聞くと、
「仕事で坂本龍馬のポータルサイト「龍馬街道」の立上げに関わったのですが、
その時、高知と深く関わり、土佐山アカデミーの想いに共感して移住したんです」と事も無げに言う。
「それで、奥さんを説得してまで移り住んだ土佐山になにがありましたか」と聞くと、
「明日、土佐山に入ると、きっと山古志と同じ匂いがすると思います。中山間地の匂いが」と言う。
翌日、私たちは高知市街地から車で20分余りの土佐山を訪ねた。
この距離は長岡駅から山古志と同じか、少し短い。
確かに、道沿いに見える清流「鏡川」の透明度は圧倒的で、
緑濃い渓谷の傾斜地には田畑が営々と築きあげられていた。
厳しい自然のなかで営まれてきた先人の足跡は、
日常の暮らしのあちこちに残され、歴史や文化を今につないでいる。
私たちに一日同行してくれた方は、
車中で何度となく明治の自由民権運動の時代から続く「夜学会」の存在を誇る。
今も地域全体での社会教育が根付いているのだと言う。
地域住民は、これを「社学一体」という土佐山発祥の「人づくり」の地下水脈だと表現する。
土佐山アカデミーの取り組みは、土佐山が育み受け継いできた、人づくりの伝統に支えられていた。
聞けば、現在、土佐山地区に住む住民は1,000人余りだと言う。
山古志住民もこの8月で1,000人を割った。
故・山古志村長「長島忠美」が取り持った縁で始まった「土佐山」と「山古志」の交流は
合わせて「土佐山古志」と呼ばれているのだが、
彼もまた、土佐山に、山古志と同じ匂いを感じていたのかも知れない。
私たちは、外気温38度を示す車から降りて山道を歩いているのに、
あのまとわりつくような不快感も息苦しさも感じない。
だが、流れる汗だけは止まらなかった。