記憶に残る集落
LIMO通信 vol.33より

今、ある山間の集落が消滅した日のことを思い出しながら、7年前の記憶を辿ってこの文章を書いている。
その集落を訪ねたときは、小学校が廃校になってから10年の歳月が流れていた。中学校は、それ以前に主を失い、廃校になると同時に取り壊されたと聞いた。
あの日から、集落の住民は一人減り、二人減り、やがて5世帯になった。 10世帯から5世帯に減るのに3年しか掛からなかった。
しかも、その段階で後期高齢者の比率は75パーセントを超えていたから、街では高齢者と呼ばれる65歳の男性が、そこでは若者扱いされていた。
確かに65歳の男性は、一人で集落を背負っている感があった。
無口だけれど体は頑丈で、1年を通して働き詰めだった。
冬ともなると集落5世帯全部の雪掘りを一手に引き受けていたことを覚えている。
久しぶりに男性を見かけたのは、背丈を超えた積雪が消えかけた頃、郊外のショッピングセンターで買い物をしていたときのことだった。
「珍しいですね、こんなところで会うなんて」と声を掛けると、「少しまとまった数の梅の苗木がないかと思って見に来たんだが、強そうなのはないわな」と照れくさそうに話す。
その日はそのまま別れたのだが、何か気に掛かっていた。
何故、梅の苗木なのか、いったいどこに植えようというのか。
数日後に村役場の課長から聞いた。
「あの集落は、もう限界だ。今年か来年には1世帯か2世帯になる。そうなると、もう集落とはいえない。 今でさえ、上からいろいろ言われているのに、除雪も、屋根の雪掘りも補助金は入れられない」と話してくれた。
私には、そのことと梅の苗木がどういう関係があるのか、その時はまだ分からなかった。 村役場の課長は続けた。
「奴は住み慣れた山を下りようとしている。もう、帰ってこないつもりだろう」と明らかに怒ったような口調で言う。
「通い農業じゃ駄目なんですか。お子さんでなくとも誰かに後を継いでもらうとか」と聞いてみたが、 もう返事は無かった。
後日、私は村役場の若い職員から聞いてすべてを知ることになる。
男性は集落に今も残っている廃校のグラウンドに梅の木を植えようとしていた。
グラウンドを梅の木で一杯にしようとしていた。
梅の開花を楽しみに雪解けを待ち、梅の実を収穫して梅酒・梅干しをつくって、集落を出て行ったかつての住民たちに配ろうとしていた。
男性は、生前から、村を後にした人に帰ってきてここで暮らせとはけっして言わなかったと聞いた。
そのかわり、ここに集落があったことを忘れないで欲しいと何度も何度も繰り返して旅立ったのだという。
男性は、消滅してゆく「限界集落」を延命させようとしていたのではなく、そのたたみ方を一心に考え、記憶に残したかったのかもしれない。
今、廃校となった小学校のグランドには、校舎はおろか梅の木の一本も残ってはいない。