震災からの復興 ~まだ見ぬ未来へ~
LIMO 通信 vol.46より

昨年9月22日に開催された
「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」のオープン記念式典に出席してきた。
「いのちを守り、海と大地と共に生きる」をテーマとして掲げ、
多くの来館者が震災津波の破壊力や脅威を実感し、津波を自分事として捉え、
命を守るための「体験」「教訓」を学べる伝承館となっている。
加えて、国と陸前高田市で整備する「重点道の駅・高田松原」と一体的に整備を進めていることもあり、
これからの復興プロセスにおいて、極めて重要な地域活性化も担って運営されていくことになる。
しかし、こんな数字もある。
陸前高田市の震災前の人口は、およそ24,000人。
震災による市全体の犠牲者はおよそ1,800人。
震災から8年を経た2019年の人口は、およそ18,000人にまで落ち込んでいる。
津波で流された街には高さ10メートルの土が盛られ、
新しい市街地が築かれてきたが、そこには幾つかの商業施設が出店しているものの、住宅は殆どない。
人口減少に歯止めがかからない現実は、中越地震の復興プロセスにおいても同様だった。
山古志の震災前(2004年)の人口はおよそ2,200人。
15年を経た現在では、1,000人を割っている。
これまで地域住民は、歯止めのかからない人口減少を嘆き、若者の移住・定住に力を注いだ。
しかし、積雪3メートルを超える自然環境、生活必需品をそろえる商店も廃業し、
路線バスも廃止されている圧倒的な条件不利地域。
この地に移住・定住してくれる若者は、早々現れてはくれない。
だが、彼らは「交流人口」、その先の「関係人口」に活路を見出した。
震災10周年を迎えた山古志を訪れた来訪者は、およそ50,000人。
この頃から、地域住民の多くは、訪れる人々を観光客として接することをやめていた。
闘牛を見に来てくれる人々を住民と同様に接し、共に楽しんだ。錦鯉のバイヤーにも、
錦鯉の品評会を見に来てくれる人々にも里山の旬の食材を振舞った。
やがて、「来訪者」は「リピーター」へと変わり、多くは、圧倒的な山古志「ファン」となった。
移住・定住はしていないものの、毎年の闘牛を観戦し、錦鯉の品評会には必ずと言ってよいほど山古志を訪れ、
その素晴らしさを話してくれる。
そして、祭りに顔を出し、住民と一緒に耕した田んぼの米を自宅に持ち帰るまでに。
伝承館の記念式典で久しぶりに再会した陸前高田の市議は、
「ご覧のように、あれだけの盛り土をして造成した市街地なのに空地ばかりが目立ち、若者は少しも戻らない」と嘆いた。
彼は3年前、山古志を訪れている。 彼との別れ際に、「山古志の人口は震災以前から比べれば激減している。
高齢化率も5割を超えたけれど、15年を経た今も、山古志を訪れる人々は少しも減ってはいない」と、伝えた。
まだ見ぬ「未来」を嘆いてばかりいても、人は前に進めない。