中越大震災から熊本地震へ
平成28年4月14日と翌々日の4月16日、新潟県長岡から約900km離れた熊本県を二度の震度7の大きな地震が襲いました。
布田川断層と日奈久断層、熊本県の東西を走る二つの断層が震源となり、熊本市の市街地から阿蘇地域を経て東は大分県まで、広域的にマチからムラへと帯状に大きな被害をもたらしました。
南阿蘇村の立野地区や高野台団地、西原村の大切畑ダムなど大地の崩壊はいたるところで発生し、熊本市内と阿蘇地域を結ぶ国道57号線や県道28号線といった代替路線の限られる幹線交通網も寸断されてしまいました。
そして集落に目を凝らせば、斜面を切り開いて作られた集落は住宅のみならず宅地そのものが崩れてしまいました。また、震災後の集中豪雨の被害と合わさり、田畑をはじめとした農地の被害、それを支える水路の断絶、地域の暮らしを支える農業への被害も大きく、中山間地域に多くある集落の暮らしはその存続の危機にさらされています。
長岡を襲った中越大震災も、熊本地震と同じように中山間地域に大きな被害を残していきました。道路を始めとするライフラインが被害を受け、多くの集落が孤立し、旧山古志村では全村避難を余儀なくされました。
しかし、中越大震災で大きな被害を受けた中山間地域の集落では、震災をきっかけにした様々な取り組みが行われてきました。復興支援で訪れたボランティアなどとの関係を持続させ、その後の復興まちづくりの取組みへと昇華しています。
震災から13年を迎えようとしている今もなお、中越大震災で被災した集落は復興へ向けた歩みを集落の未来づくりへと位置づけて様々な取組みを続けています。
熊本地震の被災地にとって、長岡は地震被災地の先輩です。中越大震災の復興の経験を少しでも熊本に伝えることができればと、昨年の8月から阿蘇郡西原村での集落再生に向けた取組みのお手伝いをさせていただいています。
もちろん土地が変われば人も文化も違いますし、時代の潮流も変化しています。ですから、中越の経験がそのままこちらで活かせるとは思いません。
それでも、13年間のこれまでの活動が、熊本地震を経た西原の13年後を想像しながらの復興の一助になればと思っています。
これからは、西原村の復興に向けたあゆみをこちらで紹介させていただきます。

佐々木康彦 支援員