やまのいとなみ|2020/03/27

おぐにっ子からあなたに伝えたいこと~⑫

「キミ達の選んだ道を応援しています。そして、キミ達の先輩が、小国で選んだ道も知ってほしい。」

 

 

自分とは違う世代の彼・彼女が、こんな風に小国を考えているのだと知った時、新成人だけでなく、たくさんの人たちにこのメッセージを知ってもらいたいな、と思いました。「おぐにっ子からあなたへ」、お伝えします。

 

第12回は、大久保洋樹(おおくぼひろき)さん(37歳)です。

 

 

床屋さんは昔から、地域のたまり場、情報のたまり場でもありました。待っている間に、囲碁をしたり将棋をしたり、世間話で盛り上がったり…。

小国にも、そんな老若男女のたまり場となっている床屋さんがあります。それが、洋樹さんの勤める『ヘアーサロンオオクボ』です。

 

このお店は、ご両親から続いているもの。理容師になるのは自然なことだった、と洋樹さん。

 

「長男だし、っていうのもあったかな。専門学校に進んで新潟市の理容室に勤めた後、うちに入りました。」

 

 

洋樹さんのご両親、弟さん、お嫁さんも、みんな理容師です。

 

「弟は長岡の街中で、アメリカンスタイルの床屋をやってます。ああいう系統の店は、あまりないんじゃいかな。洋服とかも売ってる超今風の店です。

うちはどっちかっていうと、若い人からおじいちゃんおばあちゃんまで、いっぱいやらせてもらってます。嫁はこっちに来てから資格を取ったんですよ。女性のお客様もいるし、カットやレディースシェーブっていう顔そりなんかもします。人のつながりや口コミで来てくれるんですけど、ありがたいことに、長年通って来てくれるお客様が多いですね。」

 

 

小さい頃から通っているので、帰省するまで髪を切らず、ここで切る、という若い子達も多いそうです。取材をお願いした日も、学生らしい若い子達が、話をしていました。

 

「彼らも1年ぶりで会ったみたい。ここで偶然一緒になって、遊びに行くとか結構ありますよ。床屋さんって昔から、人が集まるというか、そういう場所だったみたいです。」

 

若い子達は、髪型にもこだわりがありそうです。「今までにすごい髪型をお願いされたことはありますか?」と聞いてみました。

 

「あります、あります。なんかアーティストみたいな。切る前に、これで怒られたら次はこの髪型にしかできないよって、約束はしてもらったけど…当然、学校からダメと言われて、また切り直しました(笑)。今はもう、そんなチャレンジャーな子はいないかな。」

 

 

「髪型については、こういう感じかな?って聞きながらイメージしていきますね。親御さんが連れてきている時は、こっからどうしましょうね?って。大人はだいたい『短くして』って言うんですけど、その髪で生活するのは本人なので、両方の気持ちに沿うようにしてます。」

 

 

髪を切りながら、相談を受けることもあるのだとか。

 

「何で理容師になったんですか?って、結構聞かれるんですよ。これから就職しようかと考えてる子とかに。『ご両親がいいって言ってるなら、進学してもいいんじゃないの?』『でもお金がかかるし…』そんな話もします。ちょっと聞いてみたい、いろいろ聞いてもらいたかった、っていうのもあると思います。友達とも親ともちがう、別の角度があるんじゃないですかね。」

 

「仕事の悩みもいっぱい聞きます。俺もそうだったから、がんばれなんて言える立場じゃない。自分はただ、年数経ってる、続けてたっていうだけで。でも、ダメかなって思っても、ちょっと続けてみた方がいいかな、とは思う。いきなり大人になるわけじゃないし、自分のペースでいいよって、言うくらいかな。」

 

 

長く通ってくださるということは、お客様の年齢が上がってくるということでもあります。お客様に寄り添うように、いろいろな工夫があるようです。

 

「年配の方も増えてますが、送り迎えもできますし、お店は車イスでも入れるようになっています。ご自宅や施設に、カットに伺うこともありますよ。寝たきりの方はケガをさせられないので、家の人に見ていてもらうことが前提ですけど。ご本人にあまり意識がなくても、分かってくれてるのか、一言二言しゃべってくれたり。」

 

 

「自分の小さい時からお店があって、昔からのお客様に支えられて今の自分があるので、ここでお店をすることが、恩返しではないけれど、自分がやらなきゃいけないことかなって。

床屋さんは人が集まる場所だから、そういう場所は残していきたいし、可能なかぎりやろうかなって思ってます。」

 

15年以上も通ってくださる方がいて、ここに帰って来るまで髪を切らない子ども達もいて、町外から訪れる方もいて…人が人を呼び、今日も『ヘアーサロンオオクボ』は、にぎわっています。

 

佐々木知子
この記事を書いた人

佐々木知子 支援員