やまのまなび|2022/04/05

ハロー!さんビズ生⑭~六期生・高橋真梨子さん

まるいぽんせんが取り持つ人の和

 

 

<人生について考えた東日本大震災>

生まれは、東京の東村山なんです。母の実家は東京ですし、父の実家は埼玉で、いわゆる田舎のない。みんながおばあちゃんちに夏休みに行って、何々もらってきたとかいうのが、やっぱちょっとうらやましいっていうか。

 

わたしたちの世代は、3・11の影響も大きいのかなって思ってます。あのときにいくつだったかっていうのが、その後の人生の岐路に立つときに影響を与えるらしいっていうのを聞いて。わたしまだ高校3年生で、そのあと大学になってまだ結構自由に動けるときだったので、色々なところに行って、地域っていうものを見直すきっかけになった。計画停電をされたり、強制消灯みたいなのがあって、でもそれが意外と面白くて。これの方がすごく人間らしいんじゃないかって感じましたね。それがあったのに、何事もなかったかのようにみんな元に戻ろうとするので、ちょっとおかしいんじゃないかなって思ったまま華々しい大学生活を自分は送ってて。

 

 

<松代との出会いは芸術祭>

松代に来たきっかけは、大地の芸術祭です。ここ莇平(あざみひら)区で2003年から大地の芸術祭の小プロジェクトみたいな形で芸術家の日比野克彦さんが集落の人と何かをするのを作品にしたい、っていう取り組みを始めてたんです。わたしは大学時代に現代美術が専攻だったので、日比野さんの研究をしようと思って会いに行って、こういう研究をしようと思ってるんですけどって言ったら、新潟の十日町市でこういうプロジェクトをやってるから、今月くらいから言ってみないかって、急に。わたしもそのまま軽い気持ちで通うようになりましたね。

 

大学4年のときだったので、進路をどうしようかなと思って。東京で就職活動するか、でも何かそうじゃない道があるのかどうか。地方で自分の生き方を見つける人たちの本をすごい読んで、このまま地方で暮らしてみるっていうのはどうかしら、みたいなスイッチが入ってしまったというか。ちょうど次の年が大地の芸術祭の本年だったんですよね、3年に1回の。日比野さんに相談したら、こっちに来て手伝いをしてくれないかって。集落の中にレジデンスみたいに使っている場所があって、住みながら超ローカルコミュニティ新聞作らないか、みたいな話を投げられて、二つ返事でね、やりますって言ってしまったんですよ。きっかけ自体は芸術祭に作ってもらって、って感じなんです。

 

 

 

 

<移住は自分の直感を信じて>

移住のとき仕事は何も決めないで来ましたって言うと、結構びっくりされるんです。でも、住む場所があったので。で、食料はいくらでも周りから分けてもらえる状態があったので、何とかそれで暮らしていける、半年くらい何とかなるかも、みたいな根拠のない自信がね。

 

先々仕事がなくなったときに楽だろうなと思って、保育士の資格を取ったんですよ。子どもと関わる仕事をずっとしたいとは思ってたので、何とか在学中に国家試験を受けてね。地元の保育園に雇ってもらって、しばらく仕事してたんですよ。親はもう、ものすごい反対のしようでしたよ。親の価値観と全く違うところへわたしが行ってしまったので、わたしがこっちに来ちゃって、それから親にこの地域のことを知ってもらえばいいかな、みたいなところがあります。親の心配は分かるが、自分の決めたことを曲げられない、そんなところですね。

 

 

 

<土地に縛られる経験をしてみたい>

莇平の人たちの魅力は、自分たちがここから動けないから、それはそれとして諦めて、ここでの暮らしをうまく自分の気持ちと折り合いをつけていくしかないみたいなところが、一番強いところかなと思っています。

 

 

夫も、松代高校を卒業してからずっと外に出てて、40になって帰ってきたんです。何で帰って来たのって聞いたら、親が年とって段々農業が出来なくなってるのを見てて、今食べてる米も食べられないのかって思ったら、もう自分が作るしかないって思った、って。この土地の人は、土地に縛られてるところもあって、自分と土地がつながっちゃってるから、離れたいけど離れられないっていう思いを抱えたまま、でも土地の恵みも受けてて。若者ってとにかくフットワークが軽いのが売りみたいなのがあって、わたしも大学生のときはそうだったんですけど、根っこが生えないというか。このままでいいのかなって。この土地に一回縛られる、それをやってみたかったっていうのがある。

 

 

 

<当たり前にあるお米を子どもの必需品に>

お米を使った加工を考えてて、自分の中で結論が出たのがぽんせんだったんです。お米農家としてのこの先のことを考えたときに、お米だけでやっていけるのか。イベントに出してもここらへんの人には、お米単体は売れなくて。みんな持ってるので。

 

 

最初はポン菓子を考えたんですよね。っていうのも、お米だけでシンプルに加工できるものなので、素人のわたしでも何とか手が出せる。でもヒントになってくれたのは、うちの子が1歳くらいのときからお友達の親子で集まって外遊びの会をやってたんですけど、そこでお昼にぽんせんを持ってきてるお母さん。外にも気軽に持っていけるし、腐らないし、確かに便利だよね、みたいな話をしたんです。わざわざそれを遠いところから買ってる人がいるんだったら、うちで作ったら需要がないかなって始めてみた。だから、うちの家業として必要っていうのと、子育て中のぱっとおやつあげたいけどおやつ漬けにはしたくない葛藤をうまく中和してくれるもとのして、重宝してるんです。

 

 

 

<ぽんせんは社会とつながる窓口>

ただ、さんビズを介してみて、わたしが社会とつながりたい欲にうまくフィットしてくれてたんだなって。なかなかね、子どももいると自分がこうしたいって思った通りには仕事が進まないので、わたしは農作業役としてはあんまり必要とされてないんだな、みたいなのに気付いちゃった。

 

子どもも育てつつうちにいながらできること、お米農家である自分の延長線上でできることみたいなのを探し始めたいって思ってたときに、たまたまヒットしてやり始めたら、自分の中でうまくはまったというか。やり始めたら他の人も割と必要としてくれて、ずっと子どもと二人でいたのが、外とつながるいいきっかけを作ってくれたので、わたし自身が必要としてたんだな、みたいなところがありますかね。社会とのつながりを小さいビジネスの中で見つけたいみたいなところが大きかったのかな、と思いますね。

 

さんビズ第6期を受講中の高橋さんと娘さん

 

 

期せずしてぽんせんってものを始めて、一ついいなと思ってたのは、お米も野菜もみんなの方がよっぽどいいもの作ってるから何も返すものがないなと思ってたんですけど、ぽんせんは意外にみんな作ってないし、もらっても困らないということ。莇平っていう小さなコミュニティの中で生きていくのにも、結構重要かなと思ってます。よっぽどのことがなければ、お金を出して小さなコミュニティの中でのことを解決させるってのは野暮なこと、いいこととはされてない感じがしますね。

 

 

本当に物々交換で得られるものって、実はつながりの方が大きかったりしますよね。お金で清算しなかったつながりは、やっぱりつながっていくような感じもするし。わたし、週末は山の上のやぶこざきキャンプ場っていう、芝峠温泉のすぐ近くにあるキャンプ場でだけ売ってるんです。いや、売ってるというか、わたしがぽんせん持っていく代わりにコーヒーをいただいていて。そこの場が彩られるためだったら、わたしのぽんせんは自由に使ってもらってもいいな。それもそのとき作れる量だけ作って、売り切れたらラッキー、売り切れなくてもおやつになるだけ。その緩い感じが、今はいいバランスを作っていて。それを完璧に毎回必ず10個納品して、売り上げが落ちるようだったらポップつけて、みたいなのをどんどん突き詰めていくと多分しんどくなるし、楽しくなくなっちゃうような気がしてて。そこの人とのつながりを持つためだけにぽんせんを作るっていう方にフォーカスすると、あんまりがんばりすぎなくてもいいっていうところに落ち着くから、うまく続いているっていうところがあるような気がしてて。

 

 

 

<未来へと想いをつなぐ>

集落の中で、今はあんまり集落に対して何かできないけど、子どもを育ててる、集落の中で子どもが育っているっていうことで、今は勘弁してもらおうかなって思いがあって。みんなもね、今はそれがいいんだって言ってくださるので、ありがたいなと思いますけど。やっぱり、次につながるものをみんな心のどこかで欲しがってるんだろうなって。夫も多分、子どもがいなければ、ここまでしんどい想いをしてまでやらないかもなって思ったりします。この先につながるものがないっていうのは、やっぱり続ける気持ちにはならないんだろうな、自分だけで終わるっていうのは、とっても切ないものなんだろうなって。村の人がうちの子どもに会ったら何でも与えたいのは、子どもだからだけじゃなくて、未来につながるものに対して無償で与えたくなるみたいな。ここの人たちって、子どもはみんな外に出してしまって、自分の孫を育ててない人が多くて。みんなができなかったことを、代わりにうちの子どもにしてくれてる。

 

 

 

<ぽんせんに想いを乗せて届けたい>

物々交換を成り立たせるには、信頼関係がいるっていうのは、何か腑に落ちたんです。お互いにどういうものを欲しているかが何となく分かっているし、そのときに完結させなくてもいいや、っていう信頼関係がない人と物々交換はできないなって。物々交換のアプリみたいなのが一時流行ってて、物を送って物を返してもらうサービスがあるみたいなんですけど、物を送ったのに返ってこないとか、あげ損みたいなトラブルもいっぱいあって。でもそれはやっぱりね、やり方として信頼関係がないうちにやってもうまくいかないんじゃないかなって。今、物々交換をしてる人たちって、元々ぽんせんを知っててくれたとか、友達だったとか、物々交換でもいいから欲しいって言ってくれるくらいの信頼関係ができた上だからできてる。わたしはそういう人に対しては、お金よりは別のものでもらいたい。向こうもすごく考えてくれて、何だったらお返しになるかな、これでほんとにいいかなとか言いながら照れて、ほんと何でもいいんだよ、なんて言って。その信頼関係を作るためにやってみてよかったな。もうちょっとやってみようかなと思ってます。

 

 

 

売らないって自分で宣言してみてどうなるかなって思ったら、やっぱり自分が一番楽になったなっていう感覚ですね。日々の忙しさは変わらないから、稼ぐために無理矢理時間をねじ込むよりかは、無理しない程度でやって、できないものは今はいいってあきらめるっていうところが出来た。それなりに日々葛藤もありますけど、子育て中のお母さんは、今は子どもにとって大事な時期だから、それに換えられる稼ぎはないっていうか。売るっていうことをがんばらなくなると、自分にとってちょうどいいバランスが何となく見えてくるかな。

 

 

 

 

※この記事は、「聞き書き」の手法によって作成しました。

榎本淳
この記事を書いた人

榎本淳 支援員